自衛隊見学ツアー R6.8.8
この日は福岡県内の有志の方々とともに、長崎県佐世保市にある「陸上自衛隊 水陸機動団」と「海上自衛隊 護衛艦あさひ」の見学に行ってまいりました。翌日が長崎への原爆投下の日ということもあり、道中のバス内では、皆様に原爆にまつわるお話をさせていただきました。
まず見学したのは、水陸機動団です。この部隊は全国で唯一の上陸作戦の専門部隊として2018年に創設され、「日本版の海兵隊」とも呼ばれる精強な部隊です。部隊の概要説明を受けた後、ヘリが海に不時着した際に緊急脱出を行うための訓練機材「ダンカー」を見学しました。また、相浦駐屯地での貴重な体験喫食もさせていただきました。
次に海上自衛隊の護衛艦「あさひ」を見学させていただきました。米軍基地に入り、岸壁まで移動中に米軍の軍艦や海上自衛隊の護衛艦「いせ」を見ながら、海上自衛隊の皆様に温かく迎えていただきました。感謝いたします。護衛艦では部隊の概要説明を受けた後、艦内を研修し、非常に有意義な時間を過ごしました。
今回の見学には、1歳から78歳まで幅広い年齢層の方々が参加されましたが、これを機に自衛隊への理解が深まり、国防意識が高まることを願っております。
ちなみに、79年前の8月8日は、太平洋戦争末期にあたります。当時、米軍の第20航空軍司令部が2回目の原子爆弾攻撃を決定し、その場所が長崎県でした。1回目の原子爆弾攻撃は広島県で行われ、8月6日午前8時15分にB-29から原子爆弾「リトルボーイ」が投下されました。この攻撃により、約14万人以上が命を落としたとされています。
そして、2回目の原爆攻撃が行われたのは8月9日午前11時2分。B-29から原子爆弾「ファットボーイ」が投下され、長崎市の上空約500メートルで炸裂。巨大な火の玉が生まれ、街は火の玉による高温の熱線(約3000~4000度)と秒速数百メートルの爆風で破壊され、約7万4000人が亡くなりました。
その後、8月15日に玉音放送により日本の終戦が国民に伝えられました。戦後、日本はアメリカの占領下に入りましたが、約7年後の1951年、吉田茂元首相がサンフランシスコで平和条約を受諾し、主権を回復しました。同時期にGHQから自衛力の強化が許可され、日本は1950年に警察予備隊、1952年には海上警備隊を設立。これらは1954年に統合され、自衛隊が発足しました。
自衛隊は、専守防衛を第一義として、国民の生命・財産、領土・領空・領海を守るため、日夜訓練に励んでいます。悲痛な戦争を二度と繰り返さないためにも、抑止力としての役割を果たすべく必死に努力しております。
私も元自衛官として、入隊当初に「日本が危機に陥った際には、命を賭してでも国民を守る」という誓いを立てました。この誓いは、警察や消防にはない特別なものであり、私自身、自衛隊での生活や訓練、戦争の歴史を学ぶ中で、死生観を少しながら持つようになったと感じています。
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